小石會 第44回全国師範会

 

  箱 根 大 会 の 記

 

           金子 轍史

 

 小石會全国師範会箱根大会は、さる5月13日(土)、箱根湯本の『ホテルおかだ』で開催された。

伊豆下田や熱海など、近隣を会場にしたことはあったが、箱根をメインとする大会は、意外にも今回が初めてである。

当日はかなりの雨であったが、昨年同様、当日の欠席は一人もなかった。参加者は89名。午後3時30分から会議を開始。終了後、会議場内で記念撮影、夕方から懇親会。

 

 翌日はポーラ美術館、ガラスの森美術館、小田原城などを巡り、小田原駅で解散。オプション参加者は焼津温泉「ホテルアンビア松風閣」に一泊、翌日、吐月峯柴屋寺、三保の松原などを観光の後、三島駅で解散した。

 

 以下概略を報告する。

 

 

 

第1部 会議 

 

        

 

司会と開会の辞

 

布田 右石

 

 

 

 これから師範会を始めます。

 

 冒頭からになりますが、皆様ご存知のように、去る3月23日、安齋春鳳理事長が亡くなられました。25日に地元の草津で葬儀が営まれ、三浦冬石、川口流坡両先生をはじめ、副理事長、常任理事以下、小石會の多数の方々が参列されました。寂しいことですが、人の世の常として仕方のないことでございます。

小石會としては、これからこの師範会、夏の展覧会と行事が進んでいくわけですが、師範の皆様には、会の中心となってご活躍頂きますよう、お願いいたします。

 

 

 

  開催の挨拶と新理事長の紹介

 

                   顧問 三浦 冬石

 

 雨の中、お集まりいただきありがとうございます。雨降りの師範会は久しぶりで、安齋先生の涙雨かもしれません。

小石會を作ったのは安齋先生で、「よっしゃ、新しい会を作ろう」と当時の主だった仲間に呼びかけ、昭和四八年、小石會が誕生しました。今ではその仲間の多くが鬼籍に入りました。ひょっとするとその人達で集まって、あの世で師範会を開いているかもしれません。

安齋先生の逝去に伴う新役員人事については、すでに五月号の添削者名欄に発表してありますが、新理事長を川口流坡先生にお願いすることになりました。

川口先生ご挨拶をお願いします。

 

 

 

  新理事長挨拶

 

                  理事長 川口 流坡

 

 理事長を仰せつかりました川口流坡です。年功ということで、なにも出来ず非力ですが、ささやかながら力を尽くしたいと思います。皆さまよろしくお願いいたします。(拍手)

三浦先生からお話がありましたように、小石會は安齋先生を中心にして発足いたしました。その時の安齋先生の驚くような指導力なくしては、今の小石會はなかったと思います。安齋先生を中心に、今の小石會の組織の礎が生まれました。

一方、先師三室小石先生の存命当時から、三浦冬石先生が月刊誌の編集全般に当たられております。現在に至るまで変わらず月刊誌が継続して発行できているのも、三浦先生の編集能力とセンスによるものと思います。

安齋先生という大きな柱はなくなってしまいましたが、これからは私たちが力を合わせ、小石會を盛り上げていかなければならないと思っております。

何卒ご協力のほど、お願い申し上げます。

 

 

 

 この後、新役員が紹介され、川口理事長から委嘱状が手渡された。

 

 新副理事長       金子 轍史

 

 新常任理事       岡  芝泉、小林 情覚

 

    西田 津世、三浦  均

 

       吉田 趣延

 

 新参事         佐藤 趣石

 

 新理事(但し任期は一年。任期二年で在任中の現理事を含まない)

 

       石井  泉、鵜飼 正子

 

       小松 小風、杉山 冬木

 

       永野 玄石、宮川 和子

 

 

 

 

 

議  事           

 

 議事は慣例により、三浦冬石顧問、川口流坡理事長により進行した。

 

○三浦顧問

昨年一年は大過なく過ぎたと思う。今までは安齋先生中心に物事を決め、それでうまく仕事が回っていたが、今後はそうはいかないと思う。常任理事、理事の方々を増やしたのもこうした事情による。

年季のかかる習い事は人気がなくなり、書道も振るわなくなってきた。わが会もかつては年間でかなりの黒字が出たが、ここ数年は赤字続きで、黒字時代に蓄えた財源を切り崩している状況だ。若い人も少なくなり、みなさんも塾の経営がむずかしくなってきていると思うが、一方で書道が好きな人は、ずっと続けていきたいと考えている。

小石會は、かつてはいろいろと制約があったが、それがだいぶ改善され、気楽に活動できるようになってきていると思う。

さて今年の四月から「小石の友」誌にひらがなの課題を設けた。要望から三年越しに実現したわけだが、意外なほど出書数が多い。これについてご意見があればと思う。いろいろと考えて、要望に応えようと思っている。

またペン字の手本には目安にするための十文字を入れているが、これは必要かどうか。そのあたりも聞いてみたい。

 

○川口流坡理事長

「学生ペン」の課題は、私は一行七文字でよいのではないかと思っているがどうか。

 

○新見敦子常任理事

私は個人的には二行十四文字がよいと思う。子供は飽きっぽいので、字数をたくさん習わせたほうがよい。また先ほどの十文字の件だが、私は入れておいてほしいと思う。小さな子はあれを目安にして書いている。

 

○加藤春溪常任理事

私は十文字を入れないで習わせている。それを頼ってしまうのはどうかと思う。あれば形はとれると思うが。

字数については、子供は長時間集中できないので一行でもよいと思うが、二行で完成されている文章であり、たくさんの文字を書かせるのも勉強だ。

 

○村上美歩師範

私はマスに十文字が入っているほうが教えやすい。小学年はそれを目安にして形を捉えるようになる。

稽古に通ってくる子供たちは、ペン字の勉強ができるから来るというより、そこで友達と会い、一緒に後で遊ぶことが出来るから来る、というのが多い。こちらも飽きさせないように、いろいろな課題を書かせている。たとえば行書は四年生からだが、書くのが楽しいようだ。最初はうまく書けないが、五年、六年生になるとそれなりに上達する。そうした意味からも私は二行のほうがよいと思う。

 

○三浦顧問

「小石ペン」にも、解説には十文字を入れている。中国には「九宮法(九宮格とも)」といって一マスを三×三の九つに分割して教える指導法がある。ペン字では細か過ぎて四分割にしている。縦線だけでも目安があると書きやすい。中心の線が狂うようだと、字は美しく書けない。

 

○川口理事長

「毛筆小石」の半紙の作品に折り目を付けて書いている人がいるが、私はちょっとどうかと思う。下敷きに罫を引くなど、工夫したらよい。お清書の緊張感が欲しいと思う。

 

○宮崎春泉師範

「小石の友」の競書は、四月号からひらがなの課題が加わった。月によって五文字とか三文字とか字数がかわるが、これはどう指導したらよいか。私の教室では、硬筆の手習いや名前の練習など、比較的多くの課題を練習させている。ひらがなの課題が加わり、みなやる気になっているが、字数が多いと負担が大きくなるので、個人的には三文字くらいがありがたい。

 

○三浦顧問

課題の中の何文字書いてもよいことになっている。子供の能力や特性に合わせて書かせればよい。

 

○宮崎師範

出来れば字数を決めて頂きたいが、何学年なら何文字がよいかなど、アドバイスを頂ければありがたい。

 

○川口理事長

個人差があるので、実際に指導されている先生が判断されるとよいと思う。

 

○森草坡副理事長

何文字でもよいわけだから、例えば幼年は一文字だけでもよく、学年が上がるにしたがって字数を増やせばよい。どの生徒に何文字を書かせるかは指導者が判断すればよいと思う。

先ほど川口先生から半紙の折り目云々のお話があったが、折り目があってもなくとも、曲がる人は曲がる。最近は、公募展に出品する大きな作品のための下敷きにも、罫の入っているものがある。一字一字が立派に書けていても、行だてがしっかりしていないと、作品を壊してしまう。どうしたらしっかりと行が立つかは、みな苦労し、工夫するところだ。はじめは罫の入った下敷きを使うなどして、行が立つように訓練し、やがてはそれがなくても書けるようになるのが理想だ。

 

○三浦顧問

教える人によっていろいろな考え方があり、どれが最善かは断じがたい。要はうまく書ければいいのだ。(笑)

以前は、書家であまり理論的なことを言うと煙たがられたが、最近は理論的な勉強をする人が前に出てくるようになった。

三室小石先生の書は漢字がすぐれ、とくに賞状の字はいまだに真似ができないほど素晴らしい。先生の習われた当時、かなは漢字を補完するもの程度にしか考えられていなかったから、あまり有名なかな書家はいなかった。書の世界はその後進歩をし、残念ながら当時のかなでは現代には通用しない。

書の勉強の仕方をどうするかを考える時、例えばかななら古筆の勉強が大事だが、それでは古筆を切り張りして並べればよいかと言えば、そういうものではない。ペンの師範の作品を審査していて感じるのは、誤字が多いことだ。以前は「誤字」として成績表の最後に氏名を並べていたのだが、なかなか埒が開かないので、最近は個人的に手紙を書き注意することにした。

手本を書くのは大変なことだし、手本が書けるということはすばらしいことだ。だが、たくさんの弟子を抱え、何とか書き方に変化を持たせようとして、字典から字を引っ張り出して一部だけ変えようとすると、とんでもないものになってしまうことがある。文字の用法の基本的な勉強をすることが大切だ。

 

○川口理事長

書は時と場合によって、書く気持ちもスタイルも変わる。展覧会に出品する書と、手紙の書では自ずと違ってくる。三室小石先生は講談社社長の祐筆として活躍され、その後「婦人生活」という雑誌などに、実用的な書の手本を執筆された。五月号の「小石ペン」に小石先生の旧作が掲載されているが、今見るとむしろ新鮮に見える。展覧会で発表する芸術性の高い書とは別に、実用性の中に美しさを求める小石會の書の姿があるように思う。

 

○三浦顧問

審査をしていて自分が書く手本は少し「うるさい」のではと思うことがある。かと言って、簡単に書くわけにもいかない。世の中、徹底するということはなかなか難しい。いろいろと惑いながら手本を書いている。

 

 

 

 

 

  第2部 懇親会と観光

 

 

引き続き会議場で記念撮影。各自部屋でくつろいだ後、後午後6時30分より懇親会。司会は会議に引き続き布田右石副理事長。開宴の挨拶と乾杯は森草坡副理事長による。

今回は前回同様椅子席で、グループごとの指定席とした。長テーブルで洋間。畳の部屋と違い、若干温泉旅館らしさは薄れるが、脚の悪い方もおられるので、今後はこの形で定着してよいのではないかと思う。

宴会終盤には、例年のように当日参加した新師範を紹介し、手締めを以ってお開き。

翌日は8時半集合、45分出発、ポーラ美術館に向かう。前日の雨が上がり、晴天とまではいかなかったが、まずまずの天候であった。熱い日差しに照り付けられるよりはよい。

ポーラ美術館は、緑の森に囲まれ、近代的な建物の美術館で、折よく「ピカソとシャガール展」が開催されていた。20世紀を代表する画家二人の作品を、つぶさに数多く観覧できるのは幸運である。

強烈な個性を発散させた力強い作風のピカソと、妻ベラとの愛に満ちた、ロマンチックで柔らかな作風のシャガールは、全く対照的である。だがこの二人の作品が交互に展示されると、そこに複雑なハーモニーが生まれてくるように思った。ピカソのキュビズムに基づいた肖像画も、シャガールの重力を無視した絵画も、常識的な目で見ればたしかに奇異ではあるのだが。それにしても、どうしてピカソは自分の子供を描くときだけ、理論に基づく画風を捨てて、素直に愛らしく描くのだろう。

一時間ほどでポーラ美術館を後にし、箱根ガラスの森美術館へ。広い庭は池があり、ガラスでできたアーチ状の橋が架かっている。その庭を、美術館やレストラン、売店など、いくつかの建物が取り囲んでいる。メルヘンの世界に入ったかのようである。

展示されたガラス工芸品のうち、圧巻はヴェネチアンガラスの数々である。丁度その企画展が開かれていたのも幸いであった。ヴェネチアングラスの歴史をく詳しく学ぶだけの時間はなかったが、目を見張るような美しい作品を見るだけで十分だった。また、建物中央部の広間では、東京駅の「駅コン」のようなミニコンサートが開かれた。イタリア人のバイオリニストによって、ヴィヴァルディの「四季・春」の春などが演奏された。手拍子を交えた、明るく楽しい演奏で、一五分ほどの時間があっという間に流れた。

昼食は、小田原のかまぼこ店が経営する食堂に。食後小田原城に。

小田原城は戦国時代に小田原の北条氏が本拠地とした。平成27年から耐震工事が行われ、平成28年の3月に完成し、5月に再公開された。

私はかつて神奈川県に住んでいたが、小田原城を見学したのは初めてだった。新装なった天守閣は白く輝き、いかにも美しい。ただし、現在の天守閣は昭和35年に現代工法によって建てられたビルディングであり、中身は博物館である。見学前に、天守閣下の広場でバスごとの記念写真を撮った。最上階まで歩いて登った。天守閣からは相模湾がよく見える。五月の海風が心地よい。

小田原城から小田原駅へ。午後3時過ぎ、小田原駅で解散となる。

 

オプション参加者は、バスで宿泊先の焼津温泉「ホテルアンビア松風閣」に向かう。海沿いの急峻な崖に建てられたきれいなホテルで、部屋からの眺めもたいへんよかった。その夜は、オプション参加者23名による和やかな懇親会。

翌日の観光は丸子の吐月峰柴屋寺に。今川氏ゆかりの、山懐に抱かれた閑静な寺である。住職の奥様と思われる方が、詳しく解説、案内して下さった。地味な観光地ではあるが、穏やかで清々しい時間を過ごすことが出来たと思う。ただ、この辺りから雨がぽつぽつ落ち始めた。

柴屋寺を後にして、世界歴史遺産、三保の松原に。バスを降りて真っ直ぐな木道を歩くこと十五分余り、羽衣の松に着いた。ここで、皆で集まって記念撮影。それぞれに浜で写真を撮りあっていたが、雨粒が少し大きくなり始めた。バスに戻る直前には本格的な降りになり、傘を持たなかった人は最後は全力で駆け込んだ。

その後、沼津港近くの市場で買い物をし、午後三時過ぎに三島駅で解散。

 

 

 

 師範会出席者(敬称略・順不同)

 

三浦 冬石、川口 流坡、布田 右石、森  草坡、金子 轍史、味岡 松葉、林  北亭、加藤 春溪、河合 嶺雪後藤 青雲、藤吉 香梅、新見 敦子、秋山 祥躬、岡  芝泉、西田 津世、吉田 趣延、石井  泉、植松 永香、鵜飼 正子、金子 碩峰、小松 小風、小山 蓮雪、白柳 海石、立花 松月、原田 朱雪、平沢 麗華、宮川 和子、吉田 栖香、相澤利喜子、天尾 芳苑、荒井 久石、飯田 草趣、池田 瑛歩、池田 玲舟、石田 穂雪、石原 翠梢、猪俣 香浦、上平 美趣、大川 栖心、大島 清趣、太田 錦草、岡田 播州、奥田 三雲、長  永石、影嶋 岳陽、葛西 慶趣、柏  寿雲、菊地 桃李、木原 桃泉、木村 宗秋、木村 草耿、桑原 芳祥、河野 明趣、後藤 景雪、佐藤 三翔、佐藤 如泉、杉沢 保雄、杉山 秀蓮、鈴木 柚朱、高井 郁香、田垣 美代、田窪 瑞峰、田中 香汀、土田 藍朱、土屋 睦蓮、土屋 景曄、永島 怜朱、波房 松影、西嶋 律男、日東 看流、萩原 桂子、樋口 彩波、廣瀬 静光、松元 貞子、皆川 蒼覚、宮崎 美香、村上 美歩、森下 祥虹、矢木 香醇、矢萩 香慧、山下 陽趣、山嶋 松渓、山本 草琇、弓場 香雪、吉田 倫子、吉野 看彩、米山 恵雪、和田 光雪、渡辺 栄雪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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